ひよこタジの自然な吹き出し

生活がおぼつかない人間の日記です。

やっぱり大吉は嬉しい-2022/1/24

おみくじで大吉が出た

ここ数週間、コロナの流行状況もあまり良くないので土日は徒歩圏内の散歩と買い出しくらいでしか外に出ていない。先週土曜日も特にやることがなかったので、近所のお寺近辺の散歩をしていた。お参りをしたりなんだりしていたところ、おみくじが目に入った。そういえば昨年末もここでおみくじを引いて、凶が出たんだった。

前回引いてから1ヶ月くらいしか経ってないけど、まあ年明けは引くタイミングとしては良いだろう。お寺に行く道で「凶だったけど次引いて大吉だったらいいなあ」と思っていた。引いてみたところ、先に裏側に載っていた英語版のExcellentみたいな文字が見えたので「もしかして……?」と思ったら本当に大吉だった。

おみくじを物凄く信じているというわけではないんだけど、凶が出ると落ち込むし大吉が出ると嬉しい。聞いているラジオで先日おみくじの話題が出ていて、「判断の後押しをしてもらえる」みたいな話になっていたけど、そうだなあと思った。凶だって嫌ではあるけど、「元気がなくて何もしたくない……」みたいな時に凶が出ると「何もするな」みたいなことが書いてあるのでちょっとホッとしたりもする。

占いとかくじとか色々あるけど、個人的には自分の手が入るというか、介入する余地があるものが好きだ。タロットとかくじみたいに「自分が引く」という工程があると、自分で選んだ運命感があっていい。

 

昼間になにもできない

土日は基本的に昼間なにもできない。特に午前中~14時くらいまでは大体空腹のまま横になっている。以前は土曜は出掛けたり外出の用事を済ませ、日曜は午前中に起きて昼前には食料の買い出しに行き、午後早めの時間帯には平日食べる分のおかずの作り置きをしていた。

最近は土曜はずっと横になっていてたまに散歩をする程度、日曜は14時頃まで横になっており、それから買い出し、料理は21時頃からしている。横になっていて何か映画とかドラマとか見ていればいいのにそれもできない。スマホをぼんやり見たりもするけど、見たいものもだんだん無くなってきて、ただ画面をスワイプしてるだけのときもある。そうしてるとウトウトしてくるので、昼寝して時間をつぶしている。客観的に見ると結構怖いかもしれない。

これは土日だけではなく平日もそうだ。平日、朝起きても2時間位はただ横になっている。とにかくエネルギーがない。夜(21時以降)はわりと元気がいいので運動したりして、例によってそのまま寝落ちしたりしている。どうにか元気の具合を平均化したい。昼間寝てるのも、別に体が疲れているわけではないからあんまり気持ちよくもない。夜ばっかり疲れて寝落ちするのも睡眠の質的にどうよと思う。髪が濡れた状態で寝たり、明かりを全部つけたままベッドの隅で丸まって寝ていたりするのってどう考えても熟睡できていない(ベッドの上に物が散乱しているので足を伸ばして寝られない)。

前も書いたけど、こんなにも何も出来ないのは初めてだ。平日は仕事があって助かっている。それでも出社時間の縛りがないから午後に出社する生活が出来ているだけで、本当は午前中から活動できたらいいなと思っている。

 

テレワーク開始

今日からテレワークだ。色々細かい理由はあるけど、コロナの感染のリスクを下げたいなと思ってテレワークを始めた。

ワンルームマンションに住んでいるので、常にベッドが目に入るような状態で生活している。出勤しているときはベッドがグチャグチャでもそんなに気にならなかったけど、ずっと家にいると流石に気になる。ということで今日からベッドだけは起床後きれいに整えることにした。別にテレワークじゃなくてもきれいに整えたほうが気持ちはいいだろうし、夜寝落ちするにしても足くらいは伸ばせるようになるだろう。

ワンルームマンションでテレワークをするには、気持ちの切り替えをなんとかしないといけない。これは一昨年~昨年テレワークをしていてずっと課題だった。ADHD傾向のある人にとってテレワークは向いているんだろうか?というのはよく考える。他人や環境によって気が散ることは少ないだろうけど、私は一人でいたほうが圧倒的に集中力がなくなるので、かなり厳しかった。

この辺の話はかなり長くなりそうなので別の記事でまとめて書こうかな。明日あたりに書いてみようと思います。

寝る4時間前までに夕食を-2022/1/17

昨日も寝落ちしてしまった。部屋着のまま風呂にも入らず部屋の明かりも付きっぱなし、布団の上に置いてあった洗濯物の上で寝落ちしていた。こんな感じの生活が年明けから続いている。

胃液が逆流しています

もう一つ年明けから続いているのが、胃液の逆流だ。正確に言うと10年以上前から逆流性食道炎の症状があり、数年前過労死ラインまで働いていたときに悪化した。ずっと胃もたれや喉の痛みなどの症状はあったのだが、ここ1~2周間は特にひどく、朝に胃液でむせるほど逆流していた。

毎月通院して胃腸の薬を貰っていて、今日がその通院日だった。上にも書いた働きすぎの頃に過敏性大腸炎逆流性食道炎が悪化し通院を続けている。病院はコロナの流行で受診控えがあるのかわからないが、妙に空いていた。

胃液の逆流が酷いという話を担当医に伝えたところ、薬は最大量処方してるしなあ……ということだった。最大量処方されていたというのを初めて知った。忘れていただけかもしれないけど。最大量でもこんなに胃酸が出るのか。薬が足せないとなると生活習慣の改善しかないらしい。正直思い当たる節はありすぎる。昨日も寝る1時間前にケーキを食べた。それを伝えたら医師は「あ~あ」みたいな感じで笑っていた。

生活習慣の改善ということで医師が言うには、寝る4時間前までに食事を終える必要があるらしい。4時間?!よくネットで「寝る3時間前」と書かれているのを見るけど、4時間?!まあそもそも胃腸に問題がある身なので、一般的な人より早めに食べ終えている必要があるのかもしれない。

寝る4時間前というと、25時に寝る場合21時頃には食べ終えている必要がある。21時以降固形物を食べないなんて、まるで健康診断の前日じゃないか!カフェインも胃には刺激になるので、水か麦茶なら飲んでいいらしい。ますます健康診断の前日だ。健康診断の前日みたいな生活を毎日続けろというのか。無理に決まっているだろ。……と思ったけど、胃液が逆流して起こる様々な不快な症状のことを考えるとやった方が良いよなあと思う。

なぜ寝る直前に食事を摂ると胃液が逆流するのか、かなり細かく説明してくれた。とにかく胃は消化するときに胃酸を出すわけで、バリバリ消化している真っ最中に横になると、起きるときグワーッと逆流してくるらしい。寝ている間は寝ているので逆流に気づかないらしい。恐ろしい。

こうなるといよいよ生活を改善するしかなくなる。21時に夕飯といっても大体退社時間が21~22時なのでそもそも無理がある。別に寝る時間を後ろ倒しにすればいいだけじゃんとも言えるんだけど、それで就寝時間が朝方になるのはあんまりよくない気はする。

ということで、明日からは朝早めに起き、早めに仕事を始めて終え、21時くらいには夕飯を食べ、25時には寝るという感じでいこうと思う。昨日も書いたけど生活がメチャクチャなので、ついでにその辺も改善されるといいんだけど、どうなるだろう。

自分はどんな属性なのか断言できない-2022/1/16

生活がグチャグチャになっている

最近は生活がかなり困難を極めている。何かをキリのいいところまで行うことができなくなってしまった。まず、風呂に入れない。風呂に入れても髪が乾かせない。髪が乾かせても寝る前に歯が磨けない。食事が作れても食器が片付けられない。脱いだ服を洗濯機に入れられない。洗濯して干すところまではできても、干した服を畳めない。そんな感じで物事の段階を途中までしか出来ない状態だ。

今までにこうなってしまっていたのは、大体ホルモンバランスの影響かなにかで心身に不調が出ている時期だった。だが今回はそういった分かりやすい原因に思い当たらない。元々こういった日常の物事を行うのがかなり苦手だが、工夫で乗り切ったりコントロールしたりが全く出来ないのはめったに無い。

冬だからとか、コロナの流行状況がひどくなってきているとか、そういったものが気分的に落ち込ませているのはあると思うけど、それにしてもかなりしんどい。今日も片付けを部屋の3分の2までは行えたけど、残り3分の1は手つかずだ。いつもは1日あれば片付けはできていたのに。

最近、仕事をしていなくて予定もないときはずっと布団にくるまっている。コロナで外出を控えているし、家事も途中で放棄してしまうので特に土日はずっとそうだ。

自分はどういう属性として生きているか

さっきサブスクで映画を見ていたとき、その作品の感想をTwitterで検索したところ*1、女性の描き方について叩かれていたのを見た。
見たのは15年ほど前の娯楽映画で、原作はもっともっと古い作品である。その意見に対しての反対意見はない。古い作品であるから現代の作品と比較すると問題がある描き方も多い。(古い作品だからという理由以外にも何かそうさせている理由はあるだろうけど)

私は、こういったネットの感想を見ていて「私はどんな属性の人間として生きているのか」ということをいつも考える。私は会社員の、独身の女性である。しかしそれらを表明し、胸を張って意見を表明することができない。もちろん何か意見を表明するときに必ずしも属性をはっきりさせる必要はないし、胸を張っていなければいけないこともないと思う。しかし私は一体どんな人間として何を発言したいのかとふと立ち止まってしまう。

 

私が最近困っていることは、最初に書いたとおり生活に必要なことが途中までしかできないことだ。これを発達障害傾向で……とかADHD傾向が……とか冬季うつだからなんです……と言っても構わないのだが、何かそう表明して発言することに不安がある。個人として困っているのは確かだけど、困っている理由が「○○だから」という何か属性に集約されてしまうことがとても不安だ。「発達障害傾向があって困っているんです」「一人暮らしで大変なんです」と言うことができない。もちろんそういった属性が原因の一つだと思うけど、それが全てではないと思うからだ。多分私と全く同じ属性を持つ人で、同じようなことで困っていても、その内容は違っているんじゃないかと思う。
このブログも最初は「ADHDのOL日常ブログ」みたいなタイトルにしようか少し悩んだ。多分そのほうが圧倒的に似た属性の人に見てもらいやすいだろうし……。でもその属性を背負う自信がなく、記事にタグを付けたり自己紹介でちょろっと書いたりする程度しかできない。

 

作品の感想などもそうで、「酷い描写だ」とか「正しい描き方だ」と批評することができない。自分は何として生きているのかどうしても考える。自分がそう思うのが「○○(属性)だから」なのか、そう思うと自信がない。属性を自分のものとして受け入れ意見することもできるけど、何か断言できなさがある。酷い・正しいと思ったその感情が属性に起因するものなのか、自分自身の体験に起因するものなのか、社会の中で学んだ倫理観によるものなのかが分からない。別にそれが自分の中で揺らいでいても発言していいとは思うのだが、何かを批評的に見る場合にそれでいいのかと踏みとどまってしまう。「好き」「嫌い」くらいだったら言いやすいんだけど、何かを評価するにあたってそのへんハッキリしてから発言したいと思ってしまう。

倫理的に問題がある描写がある作品が2つあったとして、面白いと思った作品には「こういう描写こそ人間味だよね」とか言うかもしれないし、つまらないと思った作品には「こんな描写が入るなんて本当に最低!」と言うかもしれない。
作品の感想だけではなく、現実だってそうだ。嫌なことを言われたとして、仲のいい友達だったら反論したり「まあ友達だしなあ」で許せても、性格の合わない同僚から言われたら「やっぱアイツは最低」と無言で距離を置いたり愚痴ったりするかもしれない。そんな感じなので自分自体が信用できないし、何か属性を背負うのは難しいと感じている。

 

前回の記事にも書いたとおり、私は結構直感的に「うわっ」と思ったことが尾を引くことがある。どうしてもその「うわっ」に対して何か理由があるはずだとか原因を探ろうとして、生理的な嫌悪感だったり単純に合わないとかそういうものに理由付けをしたくなってしまう。それが私の場合は属性だったりして、「私が○○だからこの部分が嫌なんだ」と考えることもあるけど、根底に「合わない」「生理的に無理」があった場合って論理的にそれを説明できるかというと分からない。もちろん「合わない」ということに隠れた理由がある場合もあるけど、結構好みってあったりしませんか?これまた自信はないですが……。

 

私の生活がメチャクチャなのは発達障害の傾向があるから…かもしれないし、そうじゃないかもしれない。なのでハッキリ属性を言う必要もない。
私がある映画を見てスルーできていた部分(問題点)を他人が批判していて、その人が私と同じ属性だったとしても、別にその感じ方の違い自体は問題ではない(他人なので)。
でもどこか属性で連帯したい、同じように困って同じように喜びたいという気持ちがどこかにあるのかもしれない。多分本気で属性なんてどうでもいい!と思えていたら気にもしないだろうな。

正直「分かります!私も○○(属性)で、同じように困ってるんです!」と言われたら凄く嬉しいと思うし……ただ私が属性をハッキリ言わないせいで共感してもらえることも少ない。たまたま何かで共感しあえたらそれはとても嬉しいなと思う。

 

*1:以前の記事に書いた通り、Twitterから離れようとしているのにわざわざ検索したのは私のミスです

「ショックな気持ち」をどうしたらいいのか分からない-2022/1/13

他人の発言や行動で「ショック」を受けることがある。その人が自分の大切なものを馬鹿にするような発言をしていたり、何か他人を傷つける行為をしていたり、そういうやつです。

イメージを伝えづらい部分もあると思うので、私が過去にショックだったことを箇条書きで書く。(詳細はぼかして書いています。)

  • 好きなタレントが(恐らく無自覚で)差別的な発言をしたうえに、どこが差別的なのか理解ができていない様子だった。
  • 好きなアイドルや俳優、スポーツ選手の暴力行為が告発された
  • 好きな作品の中で自分が大切にしているものを揶揄するような台詞があった(作者も過去に同様の発言をしていた)
  • 過去に元同僚が酷いハラスメントをしていて、恐らくそれが理由で退職をしたと知った
  • 先輩社員が雑談で差別的な発言をしているのを聞いてしまった
  • ネット上の知人が犯罪行為(被害者がいるもの)を匂わせていた

無意識か意識的かは関係なく、そういうことを言った(行った)事実を知るとすごくショックを受けて、つらい気持ちになる。「この人こんなこと言う人だったのか」と失望してしまう。ここまでは心の動きとして仕方ないと思うんだけど、どう向き合ったりいいかがずっと分からない。

親しい仲の友人や家族であれば「そういう言い方はちょっと」と話し合うこともできる。それにその発言や行動一つが許せなくても、他に好きな部分や大切にしたい部分があれば全て嫌いになってしまうことはあまりない。その人がそういう部分(受け入れがたい部分)もあるということを理解した上で付き合うことも出来る。ただ、芸能人や作家、ネットの知り合いなど距離のある人だったり、実際の知り合いであってもそこまで親しくない相手だったりするとそうもいかない。

うわっと思った後、ずっと引きずってしまう。「この人こういうところもあるけど、でも好きだな」となかなか思えない。その人を見る自分の目が厳しいものになっていたり、嫌悪感すら抱いてしまったりする。好きだった部分まで嫌いになるというわけではなく、好きな部分を求めてもどこか引っかかりがあり、暗い気持ちになってしまう。

 

上の箇条書きでも挙げたが、応援していた芸能人に暴行の疑惑が出たことがある。ネット上での告発があり発覚したのだが、本人や事務所からの説明はなく、そのまま芸能界から引退したようだ(引退したというアナウンスもないから引退したのかすら分からない)。告発はあまりにもショッキングな内容だったため、詳細を見ることは未だにできていない。
応援していた頃の思い出としてはいい思い出ばかりだし、映像や写真を見ても素敵だなと思う。当時素直にそう思っていたし、プライベートでそんなことをしていたと「見抜く」のは難しかった。ただ色々知ってしまった今、好きだった頃の思い出を辿っても、どうしてもショックを受けた気持ちが思い出されてしまいつらくなる。一人のファンとして何も知らなかった頃のようには楽しめない。写真を一枚見ただけで芋づる式に楽しかった思い出とショックな感情が同時にズルズルと出てきてしまう。勿論一番傷ついているのは当事者だと思うし、ファンとしてショックだということを表明すること自体が問題ないのかどうかも判断ができていない。

 

勿論、後で謝罪があったり何らかの応答があったら納得できる場合もあると思う。何か問題のある行動を取ったとしても、やり直せる世の中であって欲しいとも思う。でもどうしても頭の隅では「でもこの人って…」とモヤモヤが残ってしまう。その人に関連するものを見たりするだけで反射的に嫌な気持ちが大きくなってしまう。この気持ちのやり場が分からない。

「ショックを受けたその瞬間」の気持ちがいつまでも残ってしまっていて、それが簡単に引っ張り出されてしまうのが一番つらい。理性でどうにかできる部分じゃないんだろう。そうなると「ショックを受けない」ことが解決策になる。でもそれって可能なのか?

「他人が自分の思った通りの人間ではないということを理解する」「盲目的にならずいろんな視点から見る」などでショックを受けなくなれる気はするけど、それってそもそも相手に期待しないということに繋がってしまいそうで怖い。

 

既に無意識にそう対処している部分はある。

仕事で新しい交流があっても、どこかで「この人もハラスメントをしているかも」「人当たりはいいけど、心のなかではどう思っているか分からない」「期待するのはよそう」と思っている。

映画を見ていて感動しても「監督は問題のない人物だろうか?感動して問題ないか?」と冷静になろうとしていたり、嫌悪感を抱く表現が出てこないかビクビクしていたりもする。

実際「あ~あ、信用しないで良かった」と感じることもある。でも、それってかなり悲しいことではないか?何事においても全てを知ることはできないし、あくまで自分が知れる範囲でしか知ることは出来ない。だったら見える部分だけでも信用しよう。そう思いたい。でもどうしてもショックを受けるのが怖い。

 

こうやって今文章を書いているのも、さっきショックを受けたからだ。読んでいた漫画に私が好きなものを揶揄するようなスラングが使われており、ショックだった。文脈的に不適当とは思わないし、沢山の人が使っている表現だから作品に取り入れるのが悪いとは言い切れない。でも嫌だった。好きなものを嫌いになりたくないと思った。多分漫画は読み続けるだろうけど、どこかで「でもこの漫画ってああいう表現が出てくるような作品なんだ」と思ってしまうんだろう。好きだったのに。この感情自体勝手だなとも思うが。

 

ショックを受けたらどうしたらいいのか本当に分からない。何も信じなきゃいいというのも悲しい。他人や他人が作ったものが自分の思い通りにコントロール出来るはずがないし、出来ないからこそ素晴らしいとも言える。
どこかで「白黒明らかになるまでは常にグレーで、どちらの可能性もある」というような話を読んだことがある。そりゃそうだと言う感じなのだが、どうしても白だと信じたくなってしまう。減点式で見たくない。

ショックな気持ちをどうにか受け入れつつ、他人を信用すれば済むんだろうか。それでまたいちいちショックを受けるのか?こうしてショックを受け続けて好きなものや良いなと思える人が減っていくことに耐えられるんだろうか。

年始の目標-2022/1/1

クリスマスの話題とか「買ってよかったもの2021」とか色々書こうと思っていたことがあったんだけど、中途半端な下書きで放置していたら年が明けてしまった。去年の話題も書きたいところだけど後で書くことにして、とりあえず新年の目標を書く。こういうちょっとした目標なんかもTwitterに書いていたんだけど、「目標書いたけど守れませんでした…」という流れになるのを見越したネタ投稿みたいになってしまうところもあるので、ブログで真剣に書いた方がいい気がする。

2022年の目標はこんな感じです。

以下に細かく書きます。なんというか30代の人間としてもっと立派な目標を掲げたかったけど、このくらいの人間なんだということを自覚するためにもそのまま書く。

 

Twitterを見過ぎない

これは去年から引き続きの目標です。12月中旬に設定した目標なのでまだ2〜3週間しか経ってないけど、結構精神面で調子がいいような感じがする。
ネットの炎上ネタや他者の怒り(悲しみ)を見ないで過ごしてみると、かなり精神が落ち着く。自分の身の回りに起きたことで一喜一憂はするけど、Twitter上で起こった出来事(特に現実の生活に直接的な影響が無いような内容)を気にかけることがほとんどなくなった。好きな作品や作家さんの公式アカウントは一通りリストに入れて見ているので、「見逃した!」みたいなのはそれほど発生していない。そもそも記憶力の問題で見ても忘れてしまうことが多かったし、見るアカウントを絞っている分マシになったとも言える(体感)。

ただ懸念していた通り、他人との会話でネット炎上系・流行り系の話題が出た時に「あ〜あれね!ヤバいよね〜」みたいな反応が出来なくなり、「えっ、何かあったの?検索するね……」みたいになってしまうのが非常に申し訳ない。相手もじっくり話そうというよりあくまで井戸端会議的な感じで共通の話題として出していたりするので、「あ、調べるほどのことじゃないから……」みたいな微妙な空気になる。スラングを知らなくてポカンとしてしまう感じに近いかもしれない。ただ話を聞いてみると確かにわざわざ調べて頭に入れるというより「ネットで見かけてさ〜」くらいの内容だなあというのはあるので、「共通の話題のためにTwitterは時間かけて見なきゃ!」とまでは思わない。話が分からず気まずくなった数秒のために1日何時間もTwitterに費やすのも勿体無い気がする。やっぱり自分が楽しくてネットの諸々追うのならいいと思うけど、生活に悪影響がある上に楽しくないのであれば続けることはないよな。もし私が今学生だったら毎日友達と会話をするだろうし不安になるかもしれないとは思う。

リツイートで新しい作品の情報を得る……みたいなのがかなり減っているのは実感している。これもデメリットだろうけど、今のTwitterは「最新の情報を得て興味の幅を広げたいんだよね〜!」みたいな使い方をするにはノイズが多すぎるように感じているので、触れる情報が減ってしまうのは仕方ないかなあと思う。損得で考えすぎるのは良くないと思いつつ、結局Twitterを見ていたのだって「(思いがけず得られる新しい情報という)得がある」から見ていた部分も大きいので、「精神衛生上良くないから見ません」でもいいのかなと思う。

今までTwitterにかなりの時間を費やしてきたので、いざあまり見ないようにして時間ができると「今までももっと沢山色々なことができたはずなのに……」とひどく後悔したりもする。まあでも悔やんでも仕方ないし、楽しくてやってた部分もゼロではないので、これからも上手いこと距離をとっていきたいなと思う。1個目の目標からめちゃくちゃ長くなってしまった……。

 

②ブログを書く

これは①の続きみたいな感じです。
Twitterをあまり見なくした結果、ツイート自体もする習慣がなくなってしまった。けど日記的な内容とか考えをまとめるために何かは書きたいので、ブログを書いていこうと思っています。SNSで「見て〜!」みたいな告知を一切やっていないし、ハンドルネームも変えているのでアクセス数はほぼゼロだけど、一応人に見られている(誰か見るかもしれない)という気持ちで書くのが続けるコツな気がしてきたので、書いていこうかなと思う。内容や長さによってはスマホのメモアプリで済ませたりしているので、ある程度分けたりしつつ、楽しいと思える範囲でブログを書きたいなあという感じです。頻度を決めすぎて義務っぽくなってしまうとまたキツそうだし、「誰も見てないんだから好き勝手赤裸々に書くぞ!」とやりたい放題書くというのも危険なので、適度に諸々ちょうどいい感じに書いていきたい。

③生活の改善(修正)

ちょうど1年前に「夜23時に寝る」みたいな目標を立てた記憶があるけど、あまり現実的でなく1日も達成できなかった。なので少しハードルを下げる……というか現実的なラインとして、下の内容を設定しようと思う。

  1. 夜は0時〜1時くらいに寝る(布団に入り目を閉じる)
  2. 最低7時間は睡眠時間を確保する
  3. 8時ごろには起きる
    ーーー以上最低限守りたいラインーーー
  4. 平日は起きて朝食や身支度を終えた後、30分程度趣味の時間を取る
  5. 仕事は10時〜19時をベースにして、繁忙期は残業で+1〜2時間、閑散期は-1時間程度を目安にする。
  6. 夜は2日に1回程度30分程度の運動をする

土日や長期休暇は上記に縛られすぎず、適宜調整します。とはいえ「土曜だから朝4時まで起きちゃうぞ〜!」みたいなのは余程何かイベントごとでもない限りやらないようにしたい。それをやるとガタガタになるのはここ数ヶ月で学んだ。
仕事が裁量労働でフレックスタイムもないので出勤時間も決まっていないけど、ある程度自分で決めてしまうのはアリかなあと思った。ただガチガチに決めてしまうと裁量労働のいい部分を感じづらくなってしまうと思うので、最低でも寝る時間と起きる時間くらいは守っていきたいなと思う。それさえできてれば後はどうとでもなる。

 

④セールに振り回されない

ここ1〜2年、コロナ禍に突入してからネットショッピングに大ハマりしていて、かなり散財している。家や職場の近くで売っていないものが通販で手に入るのは便利で最高ですが、「お買い物マラソンだから何か買わないと損!!」「メガ割だからクーポン使い切らなきゃ!!」みたいなのに振り回されないようにしたい。

元々欲しかったものをお得に買う(あるいは消耗品のストックを買っておく)ためにセールを利用するならいいんだけど、最近は明らかに不要なものまで「安くなっているから」という理由で買っている。確かにお安く手に入ると嬉しいし得した気分になるんだけど、セールをチェックしなければ買わなかったものを買うことで確実にお金は減っている。私の場合「セールだからという理由で買っている≒必需品でもないし心から欲しいわけでもない」「本当に欲しかったら定価でも買ったりする(後々セール対象になるとショックだけど)」ということを考えると、セールやるんですか!何か買うもの見つけなきゃ!をやめたところで大した問題はなさそう。しかしもう既に年末年始のセールで色々買った。これは徐々に矯正していきたい。

多分インスタを見過ぎないことでセール情報やお洒落なインフルエンサーの姿が見えなくなれば改善されていくとは思う(明らかにその辺の情報に煽られて買っているので)。ただ買い物に関しては楽しくてやってるところもあるので、予算を守り楽しい範囲でやっていきたい。今は自己嫌悪に陥るくらい不相応な使い方をしていますからね。インフルエンサーや知人友人が何かにお金をかけている(もしくはかけていない)からといって収入も価値観も違うわけで、その人にレベルを合わせようとしすぎると結構ヤバいと思う。インフルエンサーだってコスメを全部自腹で買っている訳ではなくギフティングを活用していたりする。ブランドものを沢山持っている友人だって、生活費を削って頑張って買っているのではなく、単純に平均より収入が多いのかもしれない。

多分私はマーケティング的な煽りとか射幸心とかにかなり弱いタイプなので、その辺身体に染み込ませないと支出が増えるばかりだと思う。別に収入が増えたとしても大して欲しくないものを買って後悔するのは精神的にも良くないので、本気で直したい。

 

こんな感じですね。もう2時。でも3時じゃ無いので偉いし、流石に年始だしな。
明日以降は去年の話(クリスマス〜年末あたりに色々やったことや総括など)書きたいな。年始はこの暇な感じがいいです。

 

 

「せっかくだから」をやりすぎている-2021/12/17

週末になると、土日何をするか・何を食べるかのスケジュールを立てる。あそこに行くからあそこで食べて、あそこであれを買って帰って……などガチガチに刻んでスケジュールを組んだりする。

ただこれが結構キツい。食事だけでも平日食べないようなお店で食べようとか、せっかく普段行かないところに行くんだからオシャレなものを食べようとか「せっかくだから」みたいなのが行動の理由になっているのが多い。本当は出掛けた先のおしゃれな街でマックを食べたって良いはずなのにグルメバーガーを探してしまう感じだ。

本当は適当にその場で食べたいものを食べ、行きたくなったら行き、面倒になったらやめるくらいの臨機応変さが欲しい。出掛けた先で体調が悪くなっても予定を取りやめて帰ることが出来ず、具合が悪いまま買い物とか散歩とかしてしまう。一人なんだから好きにしたら良いのに。

明日も結構ガチガチにスケジュールを組んでいる。ただ明日のスケジュールは朝10時に起きるところから組まれているので、今起きている時点で結構厳しいと思う。7時間は寝たいので……と考えると11時に起きるわけでもう既に破綻しているな。

このガチガチに無理のある予定を組んでしまい破綻するものの途中でやめられない……というの、多分私のADHD傾向が絡んでくるんだと思うんだけど、完璧主義なのも影響しているんじゃないだろうか。「完璧に予定を組んで完璧な休日を過ごすぞ!」という無理した感じがしんどいんだよな。別に貴重な休みだとしても無理に色々する必要なんてないのに焦っている。いつ死ぬか分からないから色々やらなきゃ!と思っているけど、絶えず「いつ死ぬか分からないから」と思い続けていたらかなりのストレスだよな。

死で思い出したけど、介護の経験もそうさせていると思う。何をするにも死を前提としているというか、いつ歩けなくなったり心身に不調が出るか分からないから動けるうちに動かないと!という考え方が根底にある。でもこれって結構ネガティブな考えというか、楽しいからやるとか好きだからやるというより「死ぬ前にやりたい〇〇なこと」的な感じで行動してるんだよな。でも別に家でダラダラし続けて特に何もしない人生が不幸せかというとそんなことはないと思うので、何もしないで死の間際に後悔する恐怖から逃れたいだけなのかもしれない。
「やれる=やるべき」ではないのに「やれるけどやらない」を選ぶのが怖すぎる。やらずに後悔するよりやって後悔した方がいいと言われているけど、やりたくないのにやれるからってやるの、結構無理している感じがするんだよな。やりたくないので無理にやらないという選択ができるのってめちゃくちゃ強いと思う。

取り急ぎ明日のガチガチの予定はどうする?とりあえずもう4時なので7時間以上寝て起きるとしたら12時くらいになる。組んだ予定を解体するなんてことできないので予定通りいかなくても後悔しないくらいしか対処できん。今度からはこんなガチガチの予定は組まないようにする。無理な予定を組むから実現できないんだし、休日の過ごし方なんか仕事のスケジュールみたいにやる必要ないじゃないか。なあ!!とりあえず寝るところから始めよう。毎日「寝よう」で締めてて本当に恥ずかしい。

新しい仕事が身についてきた感がある-2021/12/16

今日も眠れず5時過ぎに寝た。つらい。そうなると朝も起きられない……かと思いきや意外と起きられてしまい、再入眠もできず睡眠不足の体調不良でゴロゴロしていた。今日もまたグダグダか……と思いつつ13時過ぎに出社しモソモソ仕事をしていたが、今日は仕事の成果物が上手く行ったので充実感があった。

私の会社は中小企業くらいの大きさで常に人手が足りていない。実際社員自体はそれなりにいるのだが、成果がほぼない感じの人もいるので人数×0.7くらいしか仕事が進まない。今の案件もそんな感じで人手が足りず参加することになり、やったこともない作業をいきなりやらされている。
やったこともない作業をいきなりやらされるのが結構好きなのですが、これがストレスになる人も結構いるらしいので向き不向きだなと思う。いや私も就職したての頃いきなり無理な作業をやらされて凄くつらかったので耐性がついただけかもしれない。

やったこともない作業というのは、真剣にやっていればいつにかやれるようになるのが良いと思う。やったことある仕事はやったことあるので常にそこそこ成果が出せるし、「より良くして行きましょう」の段階なので成長が感じられなくて結構つらい。でもやったことない作業は0からのスタートなので成果物をボロクソ言われても「やったことねーんだから仕方ねえだろうが!!!」と開き直れるし、コツコツやっていけばどんどん出来るようになるという伸び感が良い。多分伸び感を感じる前にやめたくなってしまう人も結構いるだろうし、私も仕事じゃなかったら途中で辞めるけど、仕事なので結構やれるな。

あと美大受験のときの経験も大きいかも。「最初はすごい粗削りでも何年かやり続ければめちゃくちゃ上達するぞ」ということを大学受験で体験しているからな~。センスみたいなのはやり続けても身につかない可能性はあるけど、技術ってやればやるほどいいから好きだな。

なんか結構横道にそれてしまった。そう、やったことない仕事をやっていて、案の定最初は「よくこんなものでお金を貰ってますね!」というレベルだったけど、2週間くらいやり続けていたらやっと問題ないデータを作れるようになってきたので、凄く充実感があったんだよな。ダメと言われたところを直しつつ、作業効率を上げつつ、見本を真似しつつ……というのをやってれば結構なんでも良くなるのでありがたいな~。こういうのが自信に繋がるんだな~と思いながら帰宅したが、結局ダラダラしてたらまた3時じゃんという感じで別の部分で自信を失った。いつか毎日0時くらいには寝られるようになるんだろうか。