ひよこタジの自然な吹き出し

生活がおぼつかない人間の日記です。

「ショックな気持ち」をどうしたらいいのか分からない-2022/1/13

他人の発言や行動で「ショック」を受けることがある。その人が自分の大切なものを馬鹿にするような発言をしていたり、何か他人を傷つける行為をしていたり、そういうやつです。

イメージを伝えづらい部分もあると思うので、私が過去にショックだったことを箇条書きで書く。(詳細はぼかして書いています。)

  • 好きなタレントが(恐らく無自覚で)差別的な発言をしたうえに、どこが差別的なのか理解ができていない様子だった。
  • 好きなアイドルや俳優、スポーツ選手の暴力行為が告発された
  • 好きな作品の中で自分が大切にしているものを揶揄するような台詞があった(作者も過去に同様の発言をしていた)
  • 過去に元同僚が酷いハラスメントをしていて、恐らくそれが理由で退職をしたと知った
  • 先輩社員が雑談で差別的な発言をしているのを聞いてしまった
  • ネット上の知人が犯罪行為(被害者がいるもの)を匂わせていた

無意識か意識的かは関係なく、そういうことを言った(行った)事実を知るとすごくショックを受けて、つらい気持ちになる。「この人こんなこと言う人だったのか」と失望してしまう。ここまでは心の動きとして仕方ないと思うんだけど、どう向き合ったりいいかがずっと分からない。

親しい仲の友人や家族であれば「そういう言い方はちょっと」と話し合うこともできる。それにその発言や行動一つが許せなくても、他に好きな部分や大切にしたい部分があれば全て嫌いになってしまうことはあまりない。その人がそういう部分(受け入れがたい部分)もあるということを理解した上で付き合うことも出来る。ただ、芸能人や作家、ネットの知り合いなど距離のある人だったり、実際の知り合いであってもそこまで親しくない相手だったりするとそうもいかない。

うわっと思った後、ずっと引きずってしまう。「この人こういうところもあるけど、でも好きだな」となかなか思えない。その人を見る自分の目が厳しいものになっていたり、嫌悪感すら抱いてしまったりする。好きだった部分まで嫌いになるというわけではなく、好きな部分を求めてもどこか引っかかりがあり、暗い気持ちになってしまう。

 

上の箇条書きでも挙げたが、応援していた芸能人に暴行の疑惑が出たことがある。ネット上での告発があり発覚したのだが、本人や事務所からの説明はなく、そのまま芸能界から引退したようだ(引退したというアナウンスもないから引退したのかすら分からない)。告発はあまりにもショッキングな内容だったため、詳細を見ることは未だにできていない。
応援していた頃の思い出としてはいい思い出ばかりだし、映像や写真を見ても素敵だなと思う。当時素直にそう思っていたし、プライベートでそんなことをしていたと「見抜く」のは難しかった。ただ色々知ってしまった今、好きだった頃の思い出を辿っても、どうしてもショックを受けた気持ちが思い出されてしまいつらくなる。一人のファンとして何も知らなかった頃のようには楽しめない。写真を一枚見ただけで芋づる式に楽しかった思い出とショックな感情が同時にズルズルと出てきてしまう。勿論一番傷ついているのは当事者だと思うし、ファンとしてショックだということを表明すること自体が問題ないのかどうかも判断ができていない。

 

勿論、後で謝罪があったり何らかの応答があったら納得できる場合もあると思う。何か問題のある行動を取ったとしても、やり直せる世の中であって欲しいとも思う。でもどうしても頭の隅では「でもこの人って…」とモヤモヤが残ってしまう。その人に関連するものを見たりするだけで反射的に嫌な気持ちが大きくなってしまう。この気持ちのやり場が分からない。

「ショックを受けたその瞬間」の気持ちがいつまでも残ってしまっていて、それが簡単に引っ張り出されてしまうのが一番つらい。理性でどうにかできる部分じゃないんだろう。そうなると「ショックを受けない」ことが解決策になる。でもそれって可能なのか?

「他人が自分の思った通りの人間ではないということを理解する」「盲目的にならずいろんな視点から見る」などでショックを受けなくなれる気はするけど、それってそもそも相手に期待しないということに繋がってしまいそうで怖い。

 

既に無意識にそう対処している部分はある。

仕事で新しい交流があっても、どこかで「この人もハラスメントをしているかも」「人当たりはいいけど、心のなかではどう思っているか分からない」「期待するのはよそう」と思っている。

映画を見ていて感動しても「監督は問題のない人物だろうか?感動して問題ないか?」と冷静になろうとしていたり、嫌悪感を抱く表現が出てこないかビクビクしていたりもする。

実際「あ~あ、信用しないで良かった」と感じることもある。でも、それってかなり悲しいことではないか?何事においても全てを知ることはできないし、あくまで自分が知れる範囲でしか知ることは出来ない。だったら見える部分だけでも信用しよう。そう思いたい。でもどうしてもショックを受けるのが怖い。

 

こうやって今文章を書いているのも、さっきショックを受けたからだ。読んでいた漫画に私が好きなものを揶揄するようなスラングが使われており、ショックだった。文脈的に不適当とは思わないし、沢山の人が使っている表現だから作品に取り入れるのが悪いとは言い切れない。でも嫌だった。好きなものを嫌いになりたくないと思った。多分漫画は読み続けるだろうけど、どこかで「でもこの漫画ってああいう表現が出てくるような作品なんだ」と思ってしまうんだろう。好きだったのに。この感情自体勝手だなとも思うが。

 

ショックを受けたらどうしたらいいのか本当に分からない。何も信じなきゃいいというのも悲しい。他人や他人が作ったものが自分の思い通りにコントロール出来るはずがないし、出来ないからこそ素晴らしいとも言える。
どこかで「白黒明らかになるまでは常にグレーで、どちらの可能性もある」というような話を読んだことがある。そりゃそうだと言う感じなのだが、どうしても白だと信じたくなってしまう。減点式で見たくない。

ショックな気持ちをどうにか受け入れつつ、他人を信用すれば済むんだろうか。それでまたいちいちショックを受けるのか?こうしてショックを受け続けて好きなものや良いなと思える人が減っていくことに耐えられるんだろうか。