ひよこタジの自然な吹き出し

生活がおぼつかない人間の日記です。

Twitter控え(びかえ)1日目-2021/12/13

今日からTwitterを控えることにした。

ダラダラ見てしまうのがまず問題で、Twitterはド深夜以外なら大体誰かしらつぶやいているのでついつい見続けてしまう。ド深夜だって3時くらいまでならポツポツつぶやいている人もいるし、いくらだって見続けられる。

見続けられる事自体も自分にとっては問題だったけど、他人の感情がリアルタイムでダイレクトに流れてくることの悪影響がいちばんキツいなと思う。オタクが推しの何かで喜んでるのは見ていて楽しいからいいけど、悲しみや怒りが結構キツいし、インパクトが強いので頭の中に残る。

別に他人に悲しみや怒りの感情が発生してそれを吐露すること自体は悪いことじゃないとは思う。自分だって愚痴とかめちゃくちゃ書いてるし。でも知らない人のそういった負の感情の影響で落ち込んで一日悩んでしまったり生活に悪影響がかなりあった。負の感情といっても「リストに入れていた映画好きの人が私が好きな作品に対してめちゃくちゃ怒ってるけど、具体的に何に怒ってるか詳細が分からない」みたいな、正直見なくても何ともないようなことを検索しまくって深追いして気分がどん底のまま一日過ごして一体何かいいことがあるか?と思うと全く無い。いや、何かそれが考えるキッカケになるといういい面もあるんだろうけど、いい面と悪い面を天秤にかけると悪い面のほうが多い。

見たら絶対頭のどこかに残ってしまうので、もう見ないしかないんだよなぁとはずっと思っていた。ただ今までそれが出来なかったのは、上で書いた映画の話で言うと「多様な感想(批評)を目に入れて考えることがより作品の理解を深める。作品に関する全ての問題を理解した上で好きでいるべきか判断しよう」みたいな考えが頭にあったからだ。映画だけじゃなくて音楽でも政治でも漫画でもそうで、自分の持った感想が正しいか不安で答え合わせをしたくなってしまうんだろう。他人の意見をたくさん見るのが「偉い」と思っているフシもある。Twitterでリアルタイムの意見を見て同じなら安心するし、違う意見の人が多ければ「私は理解が足りないのか、感性が間違っているのでは」と不安になる。

でも正直他人がどうとか本当は関係ないんだよな。現代でそんなスタンスは許されないかも……とか思うけど、Twitterを見ずに映画見たり音楽聞いたりして「最高~」「ちょっと微妙だったな~」って思って友達と話したりする程度でも別に罪ではなくないか?ここで罪みたいな話になるのがちょっと既にヤバいかもしれない。
あるライブを楽しんだ帰り、たまたま同じライブに行っていた相互フォローの人の感想がボロクソで落ち込んだこともある。今思うと彼とはそのアーティストを応援していたスタンスが全く別ベクトルだったので、ボロクソに言うのも理解できる。ただTwitter見なきゃ「ライブ良かったね~」って友達と言いつつ、いい気分で寝られてたのにな。でもその人と(別の趣味で)知り合って楽しかったりした経験自体は良かったなと思うし、未だにそういう偶然の出会いに夢見てるのかもしれないな。私みたいな他人の意見の影響を受けやすい人間は、楽しい気分がぶっ壊れてしまうこともあるという覚悟を持ってTwitterをやるべきだ。偶然の出会いの喜びとどっちを取るかという話だよな。Twitterは能動的に見に行くものなので(タイムラインを流し見してるだけでも能動的な行動だと思う)、ライブ退場時にボロクソ言ってるのを偶然聞いて気分悪くなるのとはちょっと違うんだよな。

「他人の言葉に影響を受けるのは自他の区別がついてない!」みたいなのもあるとは思うんだけど、その性質をなんとか矯正してまでTwitterを見続けるべきかみたいなのは思う。「よ~し、Twitterを快適に使うために自他の区別を付けられるようにして自分の意見に自信を持つぞ!」ってなんかTwitter中心の人生すぎないか?!

色々書いたけど、結局SNSで情報に置いていかれる不安があってTwitter見るのやめられなかったのかもしれない。Twitterで情報を得ているのが偉いと思っているのは間違いない。「私は最新の社会問題も、話題の映画も、同人の揉め事も、なんだって知ってるよ」という状態を維持したかったんだな。それで何か私自身の行動が変わるかというとそんなことはなく、毎日そうやってTwitterを見ては気分を落ち込ませ、見ようと思っていた映画を見る気をなくしたり、話題のブログ記事をブラウザで開いたまま見ずに放置したりしていただけだ。いい作品に出会えたり豊かな体験を得られたことも沢山あるから無駄ではなかったとは思うが、朝からTwitterに張り付いていたせいで会社に行くのが何時間も遅れたり食欲がなくなった回数のほうが明らかに多い。私は良くも悪くも刺激に弱い性質があり、その点Twitterは他人の激しい感情や衝撃的な事実がリアルタイムで流れてくるので最高の場でもあった。

でも最近はちょっとしんどすぎる。勿論なにか社会的な問題に関して議論を交わして考える必要ってあると思うが、Twitterは議論に向かないよな……。あと私は議論に参加してもおらず、何も行動も起こさず、ただ布団の中で唸ってるだけなので結構本気で意味がないかもしれない。問題だらけの世の中だとは思うけど、だったらTwitterでの議論を見るより各問題の本を一冊読むとかのほうが勉強になるよな、多分……。

こんなに長く書くつもりもなかったんだけど、そんなことを考えてTwitterを見たり書いたりするのを控えることにした。とはいえ得たい情報もあるし、急にやめると禁断症状みたいなのが出て舞い戻ってしまいそうなので、リスト管理を徹底することにした。作品や作家の公式アカウントなど、個人の感情的な内容が流れてこないアカウントをメインでまとめたリストを作ってそれを見る。数も少ないし更新頻度も少ないので張り付く必要もない。

このブログも全然続けられていないので、これが続けられるかも微妙だけど、ちょっとやってみようと思う。できるかめちゃくちゃ不安だな。でもTwitterを見なくなった時間で別のことができるかもしれないし、その時間ぼーっとするだけでも負の感情を受け続けるストレスが無くなるなら悪いことはないと思う。
ここまで見る話についてばかり書いてきたけど、つぶやく方も少なくしていこうかなと思う。趣味のアカウントで好きな作品について語るとかは別にやめることないと思うけど、生活のこととか別にブログでもいい気がしてきた。というかそのためにこのブログを始めたんじゃなかったっけ?もう覚えてない。ブログってただやってても誰も見ないというところがアレではあるけど、まあ自分で見返すにしても絶対ブログのほうが見やすいんでブログがいいと思います。今日は3時には寝たいのでもうやめます。とか思って推敲してたら3時過ぎてた。もっと短いブログ書く練習しないとダメだな。