ひよこタジの自然な吹き出し

生活がおぼつかない人間の日記です。

怒りを受け入れられなくなっている-2022/2/8

心身ともにあまり良くない感じ

最近結構体調を崩していて意欲とかあんまりなくて結構まずい感じになっている。

1月下旬の記事で書いたように起き上がれなかったり、意欲がなくなって何もできなくなっている。最低限の家事ができているだけマシかもしれないけど。

 

改善できるのか

しんどい理由は色々思い当たるけど、それを深追いするのもちょっとしんどい。どれも自分の力で改善するにもエネルギーがいるというか、エネルギーがあったとしてもすぐ解決するのは難しそう。具体的な外的要因が思い当たれば多少は違うんだろうな。

 

他人の怒りを受け入れられなくなっている

昨日はInstagramを見ていて、とある企業に対する抗議運動の投稿を見て泣いてしまった。社会を良い方に向けようとしての行動だろうし、その行動が自分に向けられている訳でもないんだから私が泣く理由は無いんだけど、そこに込められている強い怒りの感情とそれに伴う行動というのが可視化されていることに耐えられなくなってしまった。

怒りが苦手なのは育った環境的なものもあるかもしれない。

私の父は「自分が正しい」という理屈で店員さんなどを怒鳴りつける人だ。レジ打ちが遅いとか、違う料理が運ばれてきたとかの店員の不手際があった(と父が感じた)らとにかく怒鳴りつける。父からしたら「苦情を伝えて改善させることは良いことだ」という認識だという。

私はそんな様子を実家を出るまでの20年ほど見続けてきて、その度に苦痛を感じていた。父からしたら正当な主張なんだろうけど、怒鳴るほどのこととは思えなかったし、誰かが怒鳴られているのを見続けるのはつらかった。そんなこともあって他人のむき出しの怒りみたいなものに触れるとフラッシュバックが起こったりする。

父が店員さんに怒鳴っていたことと、上の方に書いた企業に対する怒り(SNSを使った抗議運動)が全然違うというのは理屈ではわかっている。一緒にするつもりはない。それはそうなんだけど、とにかく「他人が何かに対して怒っている」というのを見るとかなり精神が消耗してしまう。流石に泣くほどのことはあまりないけど、昨日はそれで1時間くらい泣いてしまった。最近Twitterは見る機会をかなり減らしているけど、それでも怒りの感情が入ったツイートを見る機会はまだあって、そのへんも蓄積していたのかもしれない。

正直他人のインスタの投稿(しかも自分に直接は関係のない内容)を見て泣くほど元気が無いとは思っていなかった。他人の感情に影響を受けやすくなっているのかもしれない。Twitter見るの減らすぞとか言っていたけど、こんなに影響を受けるなら本当に減らさないとまずいと思う。Twitterだけじゃなくて、他のSNS全般とか、ニュースとか、その辺のものも見ないほうが良さそう。時間をつぶす方法はいくらでもあるんだけど、映画を見たりゲームをするよりSNSを見てるほうが楽でつい見てしまう。置いてかれる不安みたいなのもあるけど、多少情報を得られたからってデメリットが大きすぎる。

SNSはザッと流し見する程度にして、本とか映画とかゲームとかに触れるようにしたい。やり始めるのは気合がいるけど、多分そっちの方が精神的には負担が少ないと思う。元気は無いけどSNS見て余計元気を無くしても仕方ないし、起き上がれなくなる時間が増えるだけだし。頭では分かっているけど実践できるかどうか自信はない。