ひよこタジの自然な吹き出し

生活がおぼつかない人間の日記です。

「やっぱりね、どうせ○○だと思ってた」の話-2022/1/31

私が言わないようにしていることがある。「どうせ〇〇だと思ってた。」「○○な奴だと前から思ってたけどやっぱりね」といったニュアンスのことだ。

 

最近、高級食パン専門店が閉店しているというニュースにTwitterでコメントしている人を何人か見た。見ているアカウントをかなり絞っている私にも流れてくるのだから、ある程度の人数が言及しているんだと思う。私が見た範囲の話だけど、ざっくりまとめると「やっぱりね。前からつぶれると思ってた。」みたいな感じの内容だった。乱立していたタピオカ店が閉店しているというニュースのときにもよく見た感じのツイートだなと思った。*1

私は「やっぱりね。」みたいなコメントを見ると悲しくなる。特に食品は好みが分かれるものだし、別に「批判するな!」ということではない。「どうせ○○だと思ってた」から優越感を感じるからだ。

 

これはある芸能人を応援していて、その人に良くない疑惑が出た際にもよく聞いた。「私はやりそうだなと思ってた。Aのファンは分かってなかったなんて程度が低すぎ。B(その人の推し)は絶対こんなことしないって分かってるから推してる。」みたいなツイートを本当によく見た。これも「不祥事を起こさない(はずの)自分の推し>不祥事を起こした他人の推し」、そして「不祥事を起こすであろうことを予測できていた自分」という優越感があるんだろうなあと思う。ちょっと強い言い方をすると、要は「そんな程度の低いもの」を好きな他人を見下したいんだなと思った。

 

正直言うと何かに対して「やっぱりね」と思うことはゼロではない。私も自分が好まないものがチヤホヤされていて、理解できないときは「何でこんな物が」と思ったりするし、それに何かマイナスなことが起きれば「やっぱりおかしいと思ってた」と思うことはある。

でも何かを思うのと、それを誰かに言うのは大きな隔たりがあると思う。直接凄く気の合う友人に言うとしても、その友人がそれに対してどういう印象を持っているか確信が持てないと怖くて言えなかったりする。「あれ最悪だよね、私前から怪しいと思ってたんだけど」なんていきなり言って話した相手が大ファンだったりしたらかなり大変なことになるというか、凄く傷つけてしまうことになる。

それに比べるとネットだとその辺気軽に言えてしまうし、「やっぱりね」は共感してもらえると凄く嬉しいので、言いがちになるというのは凄く分かる。他人の行動なんて変えられないし変えるような権利は私にはないけど、自分は言わないぞと決めるくらいはいいかなと思う。

 

こういうことを考えていると本当に私は潔癖症というか許容範囲が狭いなと思う。もっと他人の言動に一々引っかからないようになりたい。こうしてブログに書いているのも、一度書いて自分の頭から追い出したいというのがある。多分これをTwitterに書いていたらやめ時が無くなっていたと思うので、ブログを始めて良かった。

 

*1:ちなみに私はタピオカも、高級食パンも好きだ。高いなとかその辺は思うしどんな店のものでもいいとは思わないけど、甘くて美味しいし食感も面白い。今も好きだしたまに買って食べる。だから閉店していることに対しての「やっぱりね」に対して引っかかったというのはあるかもしれない。