ひよこタジの自然な吹き出し

生活がおぼつかない人間の日記です。

ちょっとしたことで気分は台無しになる-2022/1/25

今日は一日何事もなく過ぎ、仕事も程々に行えたので良い一日だなと思っていた。

仕事を終え、夕食を済ませたのでゴミ出しに行った。アパートの外の指定の場所に置きに行くだけなのだが、テレワークでほぼ一日歩いていないので少し家の外を散歩した。私の住むアパートの周りには一方通行の道路が多くある。昼間も夜もほぼ人通りは無いし、車もほとんど通らない。

そんな道を歩いていた。後ろから車のエンジン音が聞こえたので、邪魔にならないよう歩道の隅を歩いた。ただ、電柱を避けたり、歩道に置かれているものを避けつつ歩く。そんな感じで歩いていたところ、クラクションを鳴らされた。私は歩道を歩いているし、私が電柱を避けて歩いていたとしても車が通れるだけのスペースは十分ある。この状況でクラクションを鳴らすということは、私が歩いていると邪魔だということだろう。その車は私を避けた後ものすごいスピードを出して走っていったので、歩行者がいるとスピード出せないだろうが!ということかもしれない。

とにかく歩道を普通に歩いていたら車にクラクションを鳴らされたのだが、これによって信じられないほど気分を害している。物凄くイライラして周囲のものを全部破壊したいほど怒っている。クラクションを鳴らした側からしたら「チッ何チンタラ歩いてんだよ、追い越せねーから止まらせよ(プップー)」くらいのことだろうし、なんなら息を吸うように歩行者にクラクションを鳴らす人かもしれない。つまり何にも思ってないはずなのだ。なんならクラクションを鳴らしてスッキリしているかもしれない。

ただ私はクラクションを鳴らされただけで、何事もなく過ぎた良い一日が台無しになるほど最悪の気分になっている。これってなんだか釣り合わないのではないか。向こうの何の気なしのクラクションと、それを受けた私の不快感が全く釣り合わない。

こんなことが前にもいくつもあった。最近はめったに無いけど、高校生だったときはただ道を歩いていただけでいきなり怒鳴られることがあった。駅で向こうから体をぶつけられ舌打ちされることもあった。とにかく理不尽な怒りや強い行為を向けられるととにかく不愉快だ。こんなときも向こうは「ただイライラした」「若い人間に怒鳴りたかった」とかそんな理由だったかもしれないけど、10年以上経っても覚えていることを考えると、気持ちが釣り合っていないのではないか?

普通に歩道を歩いていたら車にクラクションを鳴らされた。それに理不尽だとムカついた。それだけの話しだけど、こんなつまらないことで一日は台無しになる。こういうとき、「あの道を歩いていなければ」「もう1分遅く家を出ていたら」「車の気配を察知した時点で歩道の更に内側(マンションの敷地内など)に避け、車を通すべきだった?」など色々考える。この不快な気持ちは避けられるものだったのではないかとつい考えてしまうけど、私が悪いことをしたとは思えない。ただ歩道を歩いていただけだ。

今日は22時頃ゴミ捨てに行ったので、もう1時間もこうしてモヤモヤしている。本当はゴミ出し後すぐ運動をするつもりだったけど、どうしても怒りが収まらずブログを書いた。こんなことイライラしつつも寝てしまえば気持ちは収まるかもしれないし、ブログの記事として残すことで見直した際更にイライラするかもしれない。ただこの「やった側は大したつもりじゃないし気にもとめてないけど、やられた側は傷つく」みたいなことがどうしても理不尽で嫌な気持ちになる。そしてこんなことで1時間も無駄にしたことに対しても嫌になる。

これから運動をして寝る。何かゲームをするのもいいかもしれない。なんだかすごく疲れた。台無しになった気分をどうにか戻さないといけない。